■どしゃぶりの恋人

梅雨の入り。桜も散り、木々の緑が深く色づき始めた頃。
 今日も今日とて学園には怒号が響いていた。
「潮江文次郎! 大人しく俺に殴られろ−!!」
「バカタレ誰が大人しく殴られるか! 出来るモノならやってみろヘタレ用具委員が!」
 付き合いの長い五六年生は恒例すぎる光景に初夏の訪れを感じる者もいるが下級生、特に一年生にとっては最上級生同士の喧嘩はまだまだ畏怖の対象だ。 その技術の高さに憧れつつもやはり恐ろしいのか遠巻きに見ている。
 たまたま近くに居合わせた保健委員会は救急箱を用意して喧嘩を見守っていたのだが、保険委員の一年生乱太郎が彼らと同級である伊作に疑問をぶつけた。
「伊作先輩、お二人が喧嘩なさるのはいつもの事ですけれど、最近特に多くないですか?」
「あぁ、梅雨が近いからね」
 と、優しい彼らの委員長は教えてくれたが乱太郎たちには喧嘩と梅雨が繋がらない。
「あのぅ〜 先輩方の喧嘩と梅雨が何か関係あるんですか?」
「雨が降ると外で喧嘩が出来ないし、屋内で喧嘩をすると仙蔵がうるさいからね。 今のうちに思う存分喧嘩してるのさ」
 さらなる疑問にも丁寧に答えてくれたがそれでも乱太郎は不思議そうな顔をしている。
「潮江先輩と食満先輩は一緒に喧嘩するのがお好きなんですね〜」
 すっごいすりる〜と肝の太い発言をしたのは同じく一年の鶴町伏木蔵。分かっているのかいないのか、真実を言い当てた伏木蔵に伊作は苦笑する。
「まぁそんなところさ。 まったくはた迷惑な話だ」
「でもそれじゃあ……」
 言いかけた左近の言葉は途中で終わった。ちょうど口を開いた時に互いの拳が頬に綺麗に入り、二人同時に伸びてしまったのだ。
「さぁ保健委員出動だ! 今日はあんなふうに頭部を強打した時の処置方法を教えるね」
「はーい!」
 三年生の数馬以下保健委員下級生達の声が綺麗に揃い、救急箱を持って出来たてのけが人に向かう。
 この後、伊作の指導のもと下級生達による丁寧だが危なっかしい治療が行われるのだが、もちろん喧嘩をした二人には拒否権は無い。
 はれて、昼下がりの忍術学園に二人分の悲鳴が響く事となった。 

 

 保健委員会の治療を終えた二人は並んで長屋への廊下を歩いていた。
「あー酷い目にあった」
「保健委員会の前で喧嘩しちまったんだ、しょうがないだろ」
 ぐったりとした文次郎に留三郎は達観した口調で返す。二人とも似たり寄ったりに包帯でぐるぐる巻きにされており、まるで重症患者の様相だ。
「風呂の後にでも伊作に巻き直してもらうとして、それまでは我慢しようぜ。せっかくあいつらが巻いてくれたんだしな」
 必要以上に厚く巻かれた包帯に苦笑しつつも嬉しそうな留三郎。対照的に、文次郎は動かしづらくなった腕を不満そうにみやる。
「これでは鍛錬が出来ん」
「諦めろ。どうせもう梅雨が始まる……ほら、降り出した」
 にわかに空が黒い雲に覆われ、ぽつりぽつりと大粒の雨が降り始めた。
 突然の雨に野外に居た生徒たちの慌てる声が聞こえてくる。きゃーきゃーと楽しそうなのは一年生だろうか。
「梅雨の始まりになるかな、これが」
「だろうなぁ……」
 しばらく雨を眺めていた二人はどちらからともなく唇を重ねた。
 そっと触れるだけの秘めやかなくちづけは長くふれあう事なく、あっさりと終わる。
「恋人ごっこの始まりだ」
 それは梅雨の間の約束事。
 屋内での喧嘩を咎められた二人が喧嘩の代わりに選んだ手段。
 拳の代わりにくちづけを交わし、罵声を睦言に変えて雨に閉ざされた一時を過ごす。
「午後の授業は?」
「自習」
「奇遇だな、い組もだ」
 まるで喧嘩の始まりの様に物騒な笑みを浮かべた二人は六年長屋のとある空き部屋へと向かった。




「伊作先輩、さっきのお話ですけど……」
 突然の雨にきっちり濡れた保健委員会の面々が身体を乾かしてる時、二年生の川西左近が先程の話を再び持ち出した。
「さっき?」
「潮江先輩と食満先です。一緒に喧嘩が出来ない梅雨の間はどうされてるんですか?」
 下級生の素朴な疑問にどう答えたものかと伊作はしばし考える。そして、
「まぁ、仲良くしてるよ」
 一番無難な返答も幼い子供達は納得してくれた様だ。口々に「へぇだから雨が降るんだ」「違うよ、雨が降ってるから仲良しなんだよきっと」等とさえずる声を聞きながら、伊作は今頃『仲良く』し始めて居るであろう同級生に思いを馳せる。
「しばらくは傷薬の消費は減りそうだ」


------------------

梅雨の間は恋人同士、でも喧嘩の方が好きな二人。
2011.05.22

→戻る