■手と手が合う幸せ
「おい、文次郎。大人しく手を出せ。」
「断わる!」
今日も今日とて、俺達は同じやり取りを繰り返す。
就業の鐘が鳴り、教師がが退室した後も食満は机に向かって微動さにせず考え込んでいた。
当然、授業の中身なぞ身には入っていない。座学が苦手とは言え、ここまでうわの空なのも珍しい。伊作が心配するのも当然であろう。
「留三郎、おーい留三郎!聞こえてるか?留三郎〜」
「…んぁ?」
まったく気の抜けた返事を返す食満に授業の終わりを告げても、そうかとしか言わぬ。
「何があったのさ、また文次郎と喧嘩でもしたの?」
「あー、喧嘩っていうか…その…」
顔を逸らし、微かに頬を赤らめている食満を見て伊作は己の迂闊さを知った。
「あいつ、俺と手ぇ繋ぐの嫌がるんだよな…そりゃ俺だって人前で繋げとはいわねーけどさ、二人でいる時くらいはとか思うわけで…」
予想通り、いや予想を上回る愚痴を装った惚気を聞かされた伊作の気力は早々に尽きかけている。このままだと延々と続きそうな惚気にどうにか割り込んで言葉を放つ。
「わ、解った。理解出来ないけど分かった!要するに留三郎は文次郎と手を繋ぎたいんだよね?」
顔を真っ赤にし、うつむいて微かに頷く食満を見て(どこの生娘だよ!)と腹の中で突っ込む。声に出さなかったのはひとえに食満を親友として大事に思うが故である。
「人気の無いところで強引に繋いじゃえば?」
「無理。あいつ、俺の動き警戒してるし、たまに成功してもすぐ振りほどかれるし…」
「君ら恋仲としてお付き合いしてるんじゃなかったっけ?」
とても恋仲の二人の逢引中の情景には聞こえず、直球で疑問を口にしてしまった伊作に罪は無い。無いが、それは食満にとってはとても重い一言だった。
「………………だと思ってたんだけどな……………………わり、伊作。俺、先に部屋戻ってるわ。」
「留三郎……」
赤かった顔が見る間に青くなる様子に伊作は己の失言を悟るが、一度発せられた言葉を無かった事にすることは出来ない。
正直なところ、普段のうざい程の仲睦まじさを見せつけられている伊作には留三郎の悩みは全く理解できていないのだが、思いつめている様子は心配だ。
力なく教室を出て行く食満の背中を見送りながら、伊作は深く深くため息をついた。
「……ざまぁねぇな。たかがこんくらいの事で。」
親友に無用の心配をかけてしまった事も、己の精神状態を管理できていない事も、好いた相手を信じられなくなっている事も。何もかもが自己嫌悪として食満にのしかかる。
そもそも何故こうも手を繋ぐ事にこだわっているのかも自分の心を理解出来ていないのである。
一歩ごとに沈む心をどうにも出来ぬまま食満は自室の戸を開けた。
「よう、邪魔してるぞ。」
「……も、も、も、も…」
驚きの余りうまく声が出ない。
何故ここにいるんだ、ここはは組の長屋で更に俺と伊作の部屋だ。
「驚き過ぎだろ、別に気配絶って忍んでた訳じゃねーぞ。」
「う、うるさい!お前こそなんで俺らの部屋にいんだよ。」
気配に気付けなかった失態は置いておいて、無断での立入りを問いただすと潮江はあっさりとこう答えた。
「恋人の部屋で帰るの待ってたらわりーのかよ。…さっさと入って来いよ。戸、開けっ放しでいつ迄話す気だ?」
恋人。その言葉にかぁっと顔に血が集まるのが分かる。おそらく目の前の男にも顔が赤くなっているのはバレバレなのだろう。
潮江はニヤリと笑みを浮かべて己の隣に来るよう促した。
互いの体温が分かる距離に座るとすぐに抱きすくめられた。
流石にまだ明るい内から情事に持ち込む気は無いようだが、頭巾と髷を外して上機嫌で髪を弄っている。
さっきの言葉といい、愛されているのは自分の思い込みではないのかもしれない。
だが、だったら何故………
「……文次郎。手ぇ繋ぎたい。」
肩口に顔を埋め、請い願う。すると髪を弄っていた手が止まった。
「そういやお前やたら手を繋ぎたがるよな。なんかあんのか?」
「うっさい!理由なんてねーよ、ただ好きな奴と手繋ぎたかったら悪りぃのかよ!てめぇこそ何でそこまで繋ぐの嫌がんだよ…」
心に溜まっていた本音をここぞとばかりにブチまけたはいいが、恥ずかしくて顔が上げられない。きっと酷く女々しい顔をしているに違いない。
こんな情けない顔を見せたくない、弱っちぃ奴だと思われたくない…
沈黙の重さを文次郎にしがみついて耐えていると、頭に添えられていた手が頭から肩へ肩から腕へと移動し、手の甲を包まれる。
「お前手ぇ繋ぐと離さねぇし。他のトコ触れねーじゃねぇか。」
「…っ!!」
俺は益々顔を上げられなくなる。
余り気の長くない恋人が、望み通りに手を繋いでやったのに、うつむいてばかりのにしびれを切らすまであと少し。
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お留?手を繋ぎたい食満と手だけじゃ飽き足らない潮江。
2010.11.30