■心知らず
「新年の酒盛りをしよう!」そう言い出したのは小平太だった。
新年を迎えた、まだ冬休みの最中な忍術学園。
上級生ともなれば実家に帰らず、自主鍛錬をしながら学園に残る生徒も少なくない。
今年の冬も6年生は全員残って、座学に鍛錬にと余念が無かったが、ここ数日の大雪で野外での訓練が出来ず、小平太などは体力を有り余らせていた。
「雪中の訓練はやりすぎてはならないと、先生方に釘を刺されてしまったし座学は飽きた! 外に出られないなら酒盛りでもしようじゃないか」
率直過ぎる理由だが、雪に鬱屈していたのは皆同じ。反対の声が上がる事はなくあっさりと新年の酒盛りが決まった。
買出しは主に酒を、つまみは食堂にある食材を分けてもらう事にし、二手に分かれて準備に取り掛かる。
夕刻、6年長屋に酒宴の仕度が整う頃、買出し組みも戻ってきた。一人増えて。
「こんばんは先輩方、お邪魔しまーす」
にこにこと人好きのする笑みを浮かべて姿を見せた人物は4年は組の斉藤タカ丸だった。
「街で偶然遭ってな。買出しを手伝ってもらったんだ」
なじみの酒屋に口を利いてもらったお蔭で、良い酒が随分と安く手に入ったから礼も兼ねて誘ったのだと、文次郎は上機嫌で経緯を説明する。
なるほど、買い込んできた酒は普段は中々手を出さぬような上等な酒ばかり。量も十分にある上、珍味もおまけにつけてもらったのだという。
街の髪結いから一転忍者を目指すというこの同輩。忍術の腕は一年並で、よく下級生の授業に混じったり一緒に遊んだりする姿ばかりを見ている為つい軽んじてしまうが、自分たちとは違う世界を生き、忍術学園で学びきれぬ様々な事柄を会得している同年の者なのだと。こうやってじっくりと話してみると思い知らされる。
街での一件もそうだが、普段殆ど接点の無い6年の和に入っても物怖じすることなく、それでいて先輩に対する礼を失する事も無く、話を振り、聞き、己も話し、場を盛り上げる。
意識しているかは判らぬが見事な話術だ。
文次郎たちと和やかに話し込む姿を眺めながらそう感嘆する食満は、だが僅かな苦味も感じていた。その苦味の訳が分からず、美味いはずの酒をどこか味気なく飲み干していると、長次と静かに飲んでいた伊作が留三郎の様子に気づき声を掛けてきた。
「どしたの、留三郎。妙に静かじゃないか」
「んー、なんでもねぇよ」
自分でも理解できていない感情を誤魔化すために酒をあおる。
常に無い速さで杯を重ねる留三郎の様子にも、文次郎は気づく様子もなくタカ丸達と話し込んでいた。
珍しい事に時折声を立てて笑っている様子に、伊作と長次が留三郎より早く状況を理解した。
「……嫉妬」
「留三郎がねぇ。そんな感情、表に出すような奴じゃないのに」
「…斉藤の話術もあるだろうが、文次郎があれほど楽しげなのは珍しい。まして、留三郎に全く絡まぬのも、とても珍しい」
長次の分析に得心する伊作。確かに、この宴席が始まってから文次郎はずっとタカ丸たちと話し通しで、こちらに意識を向けることはなかった。
タカ丸はこちらにも何度か話しを振ってきたが、伊作もどちらかといえば聞き役に回る事が多い。長次はもちろんだが、留三郎までが大人しいので話が広がる事なく次の話題に移ってしまうのだ。
伊作と長次の会話はもちろん小声で行われていたが、すぐ隣の留三郎には聞こえていた。
嫉妬とかありえねーから! と、反論したいのに出来ない。苦味の訳を、大層遺憾ながら納得してしまった己の不甲斐無さに、杯を空ける速さが益々早くなる。
どちらかというと酒に弱い留三郎はすっかり酔っていた。
「ちょっとちょっと、留三郎。飲みすぎだよ」
心配する伊作を気にも留めず飲み続ける。
何杯目か分からぬ杯を一気にあおった時、くらりと視界が回った気がした。
あ、これは拙い……
「ちょ、ちょっと! 留三郎!?」
伊作の声がする、心配掛けちまったから後でしぼられるな……くそ、なんでこの俺が嫉妬なんかしなけりゃならんのだ。文次郎のせいだ。俺の気も知らねぇでへらへら笑いやがって。倒れる前に一発殴ってやる。全部全部文次郎が悪ぃんだ。
ぐらりと傾く身体を無理やり起こし、ふらふらと文次郎に近寄る留三郎。
何事かと見やる皆の前で文次郎の広い背中に抱きつく……というより倒れこむように後ろからしがみつくと、ろれつの回らない口調でタカ丸に向かいこう言った。
「文次郎は俺のもんだから」
……あれ?なんか間違えた気がする……まぁいいか、ねみぃ。
完全に固まった空気に気づかず留三郎はそのまま眠ってしまった。
真っ赤になって硬直する文次郎。
他の面々といえば、タカ丸は目をまん丸にして驚いているし、仙蔵は腹を抱えて爆笑している。小平太は「留ちゃん可愛いなぁ!」と頭を撫でに近づくのを長次に止められ、伊作は苦笑して文次郎に声をかけた。
「文次郎、留三郎を布団に連れてってあげてよ。僕らの部屋、敷いてあるからさ」
「襲うなよ」「残りの酒は私たちに任せろ、帰ってこなくていいよ」「…………目が覚めたら水を飲ませるのを忘れるな……」などと口々に浴びせられる言葉を聴かぬ振りをして、背中に寄りかかって意識を失ってる留三郎を落ちぬように背負う。
そのまま部屋を出て行こうとしたが、自分から誘っておいて中座する非礼を一言詫びるべきかと思い直し、タカ丸に声を掛けた。
「すまんな、こちらから誘っておいて」
「いえいえ、お気になされず…………愛されてますね」
にこにこと悪意のかけらもなく掛けられた言葉に文次郎は今度こそ二の句が繋げなくなった。
居た堪れず逃げるように部屋を出た文次郎は、己がいなくなった場で「いかにあの二人が仲睦ましく、自分たち6年は当てられっぱなしなのか」という話で大いに盛り上がった事を知らない。
知らぬが仏とはまさにこの事である。
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可愛い嫉妬。
2011.01.24