■とある、特別な日
いつもの喧嘩、相打ちで寝っ転がるいつもの光景。毎日毎日、儀式のように繰り返すこの喧嘩は、互いに内に秘めた想いを隠しているからこそ続いている。
そんな、危ういところで保っていた均衡を、先に破ったのは俺だった。
「俺がどんだけお前に惚れてると思ってやがる。さっさと奪いにこいよ」
無理やり口付けて、そう言い放つ俺を、文次郎が組み敷いた。
地面に押し付けられ、潮江の顔が近付き唇を重ねられた。侵入してきた舌の感触に身体が震える。
何度も、角度を変えて重ねされる口付けの最中、薄く目を開けて見ると、そこには必死の顔の潮江が居た。
その余りに必死な形相に思わず吹き出してしまう。
「ふ…っあ…ぶっ、お、まえ。なんて顔してんだよ」
「う、うるさい!惚れた相手に初めて口吸いしてるんだ、必死で悪いかバカタレ!」
むさ苦しい男が顔を真っ赤にして告げた言葉は、だが俺に途方もない幸福感を与える。
ずっと好きだった。
奴の視界に入りたくて喧嘩をふっかけていたようなもんだ。俺が自分の気持ちを理解してからは特に。
喧嘩してる時にだけ絡みあっていた目の奥に、実は俺と同じ感情が隠れているんじゃないかと感じ始めたのはいつの頃だったか。
幾度となく自分に言い聞かせてきた。己の願望が見せた勘違いだと、そんな都合のいい事があるはず無いと。
それでもこの想いを殺しきれなかったから告白したんだ。
食満留三郎、一世一代の大博打だ。
俺は勝った。あの、潮江文次郎が俺に口付けている。惚れた相手にって、俺に向かって!
余りの僥倖に顔が緩むのを止められない。
「なに笑ってやがる!バカにしてるやがんのか!」
あぁ、文次郎の顔が真っ赤だ。ちくしょう、可愛いじゃねえか。
俺は上体を起こし奴の首筋を掴むと、自分から唇を重ねた。
軽く触れるだけの口付け。
「…ちげーよ、ばーか。俺だって、ずっとお前が好きだったんだ。だから嬉しくて笑っちまうんだよ」
「と、留三郎…」
真っ赤になって固まる奴の唇に何度も吸い付く。何やら食いしばってる唇を開かせんと 舌でつついて居たら唐突に身体を離された。
不満を込めて見やると、文次郎は真剣な眼差しで俺を見ていた。
真っ直ぐな眼光の強さに思わず息を呑む。
「留三郎、お前が好きだ。俺もずっとお前を好いていた」
真摯な言葉が鼓膜を通じて全身に染み渡る。
「正式に申込む、俺と恋仲になってくれ」
正式に申込むって何だよ、祝言でもあげるってのか、こんな事までお前は堅っ苦しく考えるのか、くそ真面目な奴め……脳内で綴られた言葉はだが音にはならない。。
奴から目を離せない、顔が熱い、奴の目に顔を真っ赤にしている俺が映ってる。
正式なお申込み、って事は返事を返さなきゃらんのだよな。
ままごとみたいな誓いの儀式でも、きっと俺たちには必要な儀式なんだろう。喧嘩仲間から一歩進むために。
そこまで考えたら、自分でも驚くほど素直に言葉が出た。
「…謹んで受けよう、文次郎。宜しくな」
文次郎の顔が安堵にゆるみ、優しく微笑んでいる。
こいつにこんな優しい笑顔向けられるの初めてだ。今までは決して俺に向けられる事の無かった表情に見とれていると、文次郎の顔がゆっくりと近づいてきて視界を覆う。
あぁ、もうちょっと見ていたかったんだがな…
少々名残惜しい気持で目を閉じると、予想に違わぬ感触が唇に触れた。
−−−−−
全身を包む温かさが心地よい。
あまりの心地よさに、再び微睡もうとする意識をどうにか引き寄せ目を開けると、そこには良く知った顔があった。
「……もんじ、ろ?」
「目ぇ、覚ましたか」
俺は文次郎の胸に寄りかかり、奴に抱きすくめられる格好で寝ていたらしい。
何故そんな体制でいるのか、確か裏山でいつも通りに喧嘩して……気を失うまでの、全てを思い出して一気に目が覚める。
文次郎に告白して、告白されて……奴に触れたんだ。
俺の全身で、文次郎の全てに触れた。
「おい、どうした?どっか痛いのか?」
うつむいて黙り込んだ俺に、文次郎が心配げに声を掛ける。こんな心配されんのも初めてで、俺はますます顔が上げられない。
「……なんでもねぇ。いいから、しばらくこうさせてろ」
思いが通じた事も、初めて肌を重ねた事も、この上ない幸せを俺にもたらしているのだが、そうとはっきり言うのは照れくさいし、癪だ。
ごまかすように抱きつき、目を閉じると、文次郎は俺の頭をなではじめた。
やさしく穏やかに触れる手の感触を味わいながら、俺は再び微睡みの世界に身をゆだねる。
喧嘩ばかりしていた俺たちの関係が、今日ようやく一歩進んだ。
明日からはきっと、喧嘩の他に睦みあう時間が追加されるんだろう。
…………うん、そういうのも悪くないな。
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文食満の告白。
2010.12.20