■ただこうして居たいから

 

 俺が長屋の自室で文机に向かっている時、又は会計室で一人作業をしている時、奴はふらりとやってくる。
  部屋に入って の第一声は決まってこれだ。

「文次郎、背中借りるぞ。」

 そういって奴は俺と背中合わせに座り込む。持ち込んだ作業や読書をする場合もあれば、何もせず外を見ている事もある。
  少し身じろぎすれば背中がふれあう距離で相手の体温がじんわりと伝わってくる。かと言ってべったりと寄り掛かる事はない。俺が寄りかかれば拒絶はしないが、奴からは触れて来ない、そんな絶妙な距離。
  会話は殆ど無く、こちらから話し掛けても生返事ばかりだ。

「…おい、話がある訳でも無いんだろう? 自分の部屋でした方がはかどるんじゃないのか?」

 今日も自室で帳簿合わせとしているところに来て、背中合わせで座り込み本を読んでいる奴に俺はそう声を掛けた。

「んー、仙蔵の許可は貰ってるから気にすんな。」

 返事になってない。そもそも俺の意思じゃなく仙蔵の許可ってなんだ。
  たまには文句の一つでもと振り向けばそこには図書館の本を読みながら半分夢うつつな奴が居た。

 …これはいくらも経たずに寝るな。

 かくして、俺の予想通り静かな寝息を立て始めた奴の身体を起こさないようにそっと引き寄せ、膝の上に頭を落ちつかせる。

 意味も無くやって来る奴の意図は不明だが、喧嘩するでもなく激しく求めあう訳でもないこんな穏やかな時間は決して嫌いではない。

 すよすよと間の抜けた寝顔を晒す奴の髪の毛をいじりながら、実はさっぱり進んでいなかった帳簿合わせを再開した。

 

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 ぱちぱちと算盤をはじく音がする。筆を走らせる音、紙をめくる音。その合間、左手が空いた時には俺の頭をなでたり髪をいじったりする男の膝でうたた寝をしている時間は、俺の一番のお気に入りだ。

 俺こと食満留三郎がこの男、潮江文次郎と恋仲と言われる関係になって半年近くになる。
  1年の頃から何かにつけて張り合ってきた俺達だけあって、恋仲になってもどうにも気恥ずかしく目が合えば即喧嘩、そんなことばかりを繰り返してきた。
  恋仲になってかえって傷が増えた俺に伊作がキレて、特別しみる薬を使ったゆっくり丁寧な治療の間延々と説教を聞かされ、考えた末がこの目を合わさずに傍に居座る方法だった。
  目を合わせなきゃ恥ずかしさも薄れるし、会話がなければ売り言葉に買い言葉で喧嘩になることもない、比較的。それに、まぁ俺だって喧嘩ばっかりしていたい訳じゃない、おそらくあいつも同じだろう。
  だからこそ、いきなり押しかけて背中借りているだけの俺を文次郎も追い返したりしないし、俺がうたた寝するとこんな優しい触れ方してくれるんだと、思う。
  俺が押しかける理由はいまいち理解していないようだがな。

 ふと、作業の音が途切れた。文次郎が大きく息をつき身じろぎしている気配がする。
  今日の作業は終わりか、さて起こされるまでこのままでいるか自分から起きるか…本当に眠いしこのまま寝かしといてくんねぇかな。
  取り留めのない思考を気ままに走らせながら目をつむっていると文次郎の手が触れてきた。いつもの左手だけじゃなく両手を使って頭をなでつつ髪に頬に触れてくる。

 まるで夜の逢瀬を思わせる触れかたに思わず目を開けそうになるのをかろうじて堪える。
  顔には出なかったか?身じろぎがばれなかったか?脈拍がうるさいはずなんだ、首筋に手を這わすのはやめてくれ!
  そんな内心の悲鳴が聞こえる筈もなく、あいつは俺の髪に顔にうなじに首筋に手を這わせ続ける。

 やばい、気持ちいいのが非常にやばい。このままじゃ…

「おい、そろそろ目ぇ醒ませ。こっちの作業は終わりだ、構わせろ。」

 妙に機嫌のよさそうな声でそう言われたが、このまま素直に目を開けるのはなんだか腹立たしい。素直じゃない?そんなの今更だ。
  目を開ける代わりに、寝返りをうつふりをして奴の腰に抱きついてみた。文次郎の腹あたりに顔をうずめるとさっきまでより強くあいつの匂いがした。

「お、まえ…っ!ぜってえ起きてるだろ!」

 おう、起きてる起きてる。おまえがあんな触れ方すっから眠気すっとんだんだ。責任とってこのまま抱きつかせてろ。
  口に出さずにますますぎゅっとしがみついてみたが、この鈍い男はどこまで察してくれることやら。

 暫くぎゃーぎゃー言っていたが無視してしがみついてたら諦めたらしい。再び穏やかに髪をなで始めた。
  そうそう、今はこんな感じに触ってて欲しいんだよ。
  いつもの殴り合いも夜の深い繋がりも好きだが、今はこういう穏やかなのがいいんだ。

 穏やかな午後のひと時、望み通りのぬくもりを手に入れた俺は改めて眠りの淵に身をゆだねた。

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食満が文次郎にひっついてるだけの話。

2010.11.07

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