チアリーディングはじめました

「チアリーダーをしろ」
 そんな事を言われたのは体育祭の準備に余念の無いある日の放課後の事。プログラムを眺めながら適切な人材とスタミナの配分を検討していた潮江と食満の二人に、それは絶対命令として下された。
「はぁ?」
「なんで俺たちに。チア部に協力頼めばやってくれるんじゃないか?」
 もっともな疑問を呈する二人に赤組大将の立花仙蔵はやれやれと肩をすくめて説明する。
「体育祭の応援合戦だぞ? 普通のチアリーディングを披露してどうする」
「普通じゃないチアってなんだよ」
「分かりやすく言うと援団を演技交換だな。手っ取り早くインパクトあるぞ」
 仙蔵の言葉に想像を巡らせてみる二人。なるほど、援団の長ランスタイルでチアの演技というのも中々面白いかもしれない。逆にチアのあの衣装で援団の発声は映えるだろう。
「なるほどな〜 俺等、応援合戦の前後は出場予定競技ないしイイぜ」
「頼む。応援合戦の加点もバカにならんからな」
 自組の勝利の為にと、快く食満は引き受けるが潮江はなにやら考え込んだまま沈黙を貫いている。それに気づいた食満が確認の声を掛けようとしたのだが、仙蔵が礼を言って立ち去る方が早かった。
「チアといっても簡単で見栄えのする演技を考えてもらう。練習等の詳細は又後で知らせよう。助かった、恩に着よう」
 疑問や反論を許さない早口で一方的に言うと仙蔵はさっさと教室を出て行ってしまう。

 そんな仙蔵の後ろ姿をぼんやりと見送った二人がこの安請け合いを後悔するのは体育祭当日の事だった。

 体育祭当日。応援合戦を前にして差し出された衣装をみた二人は凍り付いていた。
「サイズはお前らに合わせてある。特注だぞ? 動きを制限することはないだろうから練習通りやれる筈だ。他に質問は? 無いな? よし、頑張ってこい」
「いやまてまてまてまておかしいだろこれ!」
「女装とか聞いてねえぞ!」
 必死に止めた食満の苦情にもお構いなく立ち去ろうとするが潮江も加わっての引き留めとなると容易に通過は出来ない。
「全く……最初に言っただろうWチアリーダーをやれWと」
 仕方なく足を止めた仙蔵だが今更抗議を聴く気など更々無い。まるで出来の悪い生徒を諭すように淡々と説明を始めた。
「貴様らも知っての通り応援合戦はインパクト勝負だ。如何に相手の意表を突くか、如何に盛り上がるか、全てはそこだ。男女逆転で援団とチアの共演。受けない筈がないだろう」
「俺らが女装したところで逆効果だろ!? もっと似合う奴にやらせろよ! 仙蔵おまえとか!!」
「却下だ。私が女装したところでただの美女になるだけだろう、そのどこにインパクトがある?」
「自分でいうか……」
 食ってかかる食満とは対照的に潮江は半分諦めているようだ。潮江と仙蔵の付き合いは長い。一度決めた事を翻させるには完全な理論で打ち負かさなければならない事を良く知っている。そして今この状況で論理的に反論するだけの材料は無い事も。
「い、いくらインパクトって言っても俺らのエグい女装で盛り上がるかよ!? 二の腕出してミニスカって、逆効果じゃないか? 普通引くだろ!?」
 まだ潮江ほどは立花仙蔵という男の人となりを分かっていない食満はなんとか説得しようと反論を繰り返しているが仙蔵の自信は揺るがない。
「確かに男の娘は根強い人気だが今はそれだけではない。むしろ女子には似合わない女装を強要されているシチュエーションというのも受けるらしいぞ。男向けにはチア部が学ランを可愛らしく着こなしてもらう事で対応している、安心しろ!」
「いや安心とかそんなんじゃなくて……」
「そもそも本番まで後30分も無い。違う衣装を用意する時間がどこにある。チア部の方だってもう着替えに入っているんだ、今更お前らの我が儘で応援合戦の加点を捨てる気か」
「……仙蔵お前、俺たちが反論するって分ってたからギリギリまで衣装隠していたんだろう」
 理解はするがまったく納得できない説明に食満が絶句している横から潮江が口を出した。
「流石文次郎、良く分かってるじゃないか。ならばこの問答が時間の無駄だという事も分るな? いいからさっさと着替えて準備しろ」
 耳を疑うようなセリフをさらりと言い放つ仙蔵に文次郎は深い深いため息で応えた。食満も呆然としてもはや声も出ない。
 そんな二人を満足げに見やると「期待してるぞ」などと全く嬉しくない激励の言葉を残して仙蔵は自陣に戻って行った。
 残された潮江と食満と男性サイズのチア服の間に重い沈黙が落ちた。すぐ近くの筈のグラウンドの盛り上がりが遠い事のように聞こえてくる。
 時間は刻々と過ぎ、本番15分前。しびれを切らしたチア部の女子に怒鳴り込まれてようやく二人は衣装を手にした。無言のまま、なるべく互いを視界に入れないように黙々と着ていく。着れているかどうか最低限のみをチェックし、自分たちがどんな風に見えているかから目をそらしたまま本番へと向かった。

 

 赤組の応援合戦は大層盛り上がった。

 

 腹をくくった二人が引きつりながらも笑顔で演技を終えた時、男子は腹を抱えて笑い転がり一部の女子は目をキラキラ……いやギラギラさせて可愛い可愛いと黄色い声をあげ飛び跳ねていた。
 仙蔵の狙い通り見た目のインパクトと演技の質の高さで応援合戦は紅組の勝利に終わり、大量加点もゲットした赤組は意気揚々と後半のプログラムに挑む。

 そんな中、魂の抜けた男が二人。

 いつの間にか後半の出場競技が全て無くなっていた二人はのろのろと更衣室に向かい、そこでようやく互いの姿を見た。
 用意された衣装だけでも相当なものなのに、着替えて外に出た途端待ち構えていた女子の手によって化粧を施された二人。彼らの目に映る相手はどう見てもおぞましく、頭に付けられた可愛らしい花飾りがひと際浮いていた。
「これがウケるってんだから世の中わかんねぇ……女ってこええな」
「あぁ……あの視線はぞっとした。露出部分は体操着と変わらんのに何なんだあれは」
「気にはなるが聞いたら聞いたで恐ろしい事になりそうだ。もういいからさっさと着替えようぜ」
「あ」
 君子危うきに近寄らずとばかりに思考を終わらせ、食満が髪飾りを乱暴に取ろうとした時、思わず潮江の口から声が漏れた。
「ん?」
「あ、いやその…………衣装はともかく、ソレは似合ってんなーと」
「はぁ!? お前熱でもあんのか?」
 正気とは思えない潮江の言葉に怒るより先に心配になった食満が熱を測ろうと額を当ててくる。
  潮江にしても深く考えた上での発言ではない。うっかり漏れた言葉に自分で動揺しているところに不意打ちの至近距離は却ってうろたえてしまう。
「ちょっ、近づくな暑苦し、い」
 自分程ではないが食満も身体はゴツイ男の体形だ。綺麗についた筋肉はノースリーブともミニスカートも非常にミスマッチな代物である。だが顔は。女子にも人気の高い食満の顔は非常に整っている。仙蔵と違って女とみまごうばかりという訳ではなくどこからどう見ても男の顔だが、花飾りの華やかさに負けない華がある。食満の顔が整っているのに気付いたのはもう随分前の事だが、最近になってこの顔が近付くと不整脈が起きたり、熱があがったりする症状が現れるようになってしまった。そんな潮江にこの距離は拷問でしかない。呼吸が乱れ自分でも熱が上がってしまうのが解る。逃げようにも背中は壁だ。
「おい、顔赤いぞ。マジで熱か? 暑かったし、熱中症とかなってないか?」
 端から見たら異様な光景だろう。女装をした筋骨逞しい男が二人、至近距離でまじめくさった顔をつきあわせているのだから。だが当人達は至って真面目、いや文次郎はむしろ必死だった。
 いつもと違う風体がそうさせるのか、はたまた暑さのせいか。まさか食満にキスしたい衝動と戦う日が来るとは!
  無理矢理塗られたグロスとやらの効果か食満の唇はかつて見たことがない程ぷっくりと艶やかに潮江を誘う。
「なんでもねーよ。離れろ暑苦しい!」
「なんだよ、人が折角心配してやってんのに」
 つまらなさそう尖らす口から目を離せない潮江に気づいているのかいないのか、文句は言いつつも離れる事なく相変わらずの距離のまま。本当に触れてしまえそうだ。
「離れろっつってんだろ!キスされてーか!」
「ふむ…………したいのか?」
「え?いや、その……」
 混乱していたとはいえなんて事を口走ったのかと青ざめた次の瞬間には予想外の返答に赤くなる。くるくると顔色の変わる潮江を楽しそうに見ていた食満はおもむろに顔を近づけあわあわとわななく潮江の唇にそっと口を重ねた。
 食満と同じく無理矢理塗られたグロスがぬるりとした感触を伝えてくる。普段はがさがさと荒れてそうな唇なくせに、と思ったのは恐らく両者共。
  触れ合っていたのは僅かな時間。揃って眉間に皺を寄せて顔を離すと口をぬぐう。
「ったく、グロスだかなんだか知らんが塗りすぎだ」
「俺に言うな。さっさと着替えちまおうぜ」
 先ほど迄の熱い空気はどこへやら、普段通りに戻った二人は執拗にグロスを落とすとようやく着替えを始めた。
  グロテスクなチア姿から通常の運動着へ。華飾りも外し男に戻った食満だが潮江の目には相変わらず華やかに見えている。グロスも落ち、艶やかさの無くなった唇は寧ろ先程よりも魅惑的だ。
 さっきはヌルヌルした感触が強かったが今は?お互いグロスを落とした素の状態で触れたらどうなる?
 再び襲った衝動に、今度は逆らわず潮江は食満の唇に吸い付いた。
「!?」
 驚いて目を見開いてはいるが、抵抗はせずキスを受け入れている食満。
 何も塗っていない食満の唇は乾いてこそいないものの、薄く柔らかさは余り無かった。だがさっきより遙かに食満の味がするような気がする。
 何故抵抗しないのか、そもそもさっきは何故食満からキスして来たのか。潮江の頭に次から次へと疑問が浮かんでは消えていく。長続きしない思考の中で今この瞬間から自分たちの関係が変わってしまうんだろうなと言う事だけをじんわりと理解できた。

 グラウンドでは後半のプログラムが着々と進んでいる。スピーカーから流れる軽快な音楽を遠くに聴きながら、二人はいつまでも触れるだけの口づけを交わしていた。
 


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似合わない女装萌え。
2012.02.20

 

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