St. Valentine's day

 潮江文次郎が食満留三郎と想いを通じ合わせて早半年。相変わらずケンカも多いが、それ以外の穏やかに笑いあう時間も少しずつだが増えてきた。
 順当にキスも交わし、二人きりで過ごす時間の距離は少しずつ近くなってきている。
 そんな順風満帆なお付き合いに陰りが見え始めたのは冬休みが終わってすぐの事。食満が潮江の誘いに一切乗らなくなったのだ。

「おい、週末空いてっか?」
「わりっ!伊作と約束してんだ……また今度なっ!」

 万事がこの調子。
 今まで平日は潮江の部活が終わるまで待っていたのに最近はさっさと帰ってしまう。ならば週末にと誘っても全て断られてしまう。しかも断りの文句はいつも同じ。

「伊作と約束してるから」

 正直面白くない。食満が伊作と幼馴染で親友なのは承知しているが恋人だる自分をもうちょっと優先してくれてもいいはずだ。事実、年末まではよほどの用事が無い限りは極力二人で過ごしていたのだ。
 今日も今日とてホームルームが終わると同時にすっとんで帰ったと知らされた潮江は仏頂面を友人達の前で晒していた。

「また逃げられたのか。今日は部活も無い日だったろうに、それすら忘れられるとはな」
「そろそろ潮時なんじゃないのー?」
「……思い当たるフシはないのか」

 好き勝手言う悪友達に見軒のシワはますます深くなる。

「しらねーよ! 冬休み明けたらいきなりこれだ……くそっ」

 全く訳が分らない。
 冬休み中も逢わなかった訳ではない。流石に年末年始はそうそう家を空けられないが、初もうでは二人で行ったのだ。その時は人混みにまぎれて手をつないだりもしたし、そのことではにかむような笑みも見れた。別れの気配なんか微塵も無かったと潮江は断言できる。

「伊作と留って幼馴染なんしょ? 家族ぐるみの付き合いらしいし正月とか一緒に過ごしてたんじゃない?」
「なるほど、そこで何かがあった、と」
「あり得るだろ? だって留、最近ずーっと伊作と一緒じゃん!」
「休み時間もいつも何やら話してるな」
「先週、二人で歩いてるの見たよ! すっげー楽しそうだったな〜」
「…………小平太、仙蔵その辺にしてやれ」
「あ、文次郎が落ちてる」

 楽しげに話す内容がいちいち潮江に突き刺さり、とうとう机につっぷしてしまった。憐れんだ長次の口出しにより耳に痛い会話は止まったが、弱った文次郎を面白がってつついてくる小平太をはねのける気力もない。
 当然だろう。恋人の誘いを無下にしておいてほかの男と仲良く街を歩いていただのと。繊細さとは程遠い潮江の男心もズタズタである。

「半年か……まぁ持った方だろう。そろそろ現実を見たらどうだ?」
「縁起でもねぇこと言うな! まだフられてない!!!」

 まったく縁起でも無い。自分で口にした「まだ」という言葉にすら落ち込んでしまう程、文次郎は追い詰められていた。
 寄ればケンカばかりで犬猿と呼ばれた二人。それでも離れる事は無くケンカする為に近寄っていったのは食満の事が好きだからだ。ゆっくりと時間をかけてようやく想いを通じさせてからまだ半年。蜜月が終わるには早すぎるはずだ。

 折しも今日はバレンタインデー。クリスマスに続く恋人達のイベント日をどんよりと暗いオーラを纏ったまま終わるかと思われた文次郎に意外な人物から救いがもたらされた。
 ガラリと教室の戸を開けて入ってきたのはここ1ヶ月程食満を独占していた男。善法寺伊作だ。

「あれ、文次郎なんでいるの?」

 脳天気な声が文次郎に降りかかり、溜まり溜まった鬱屈を一気に爆発させた。

「居たらわりぃか!」

 がばっと起き上がって八つ当たり気味に怒鳴るが伊作は涼しい顔だ。むしろ不思議そうに再度問いかけてくる。

「えーだってまだ教室居座ってるとか思わないし。あんまり留三郎またせるなよ〜」
「居座ってて悪かったな……って留三郎?」
「待ち合わせしてるんでしょ?」

 待ち合わせなどしていない。どころかここ2週間程まともに話せていないしメールすら来ていない。まさか気付かなかったのかと慌てて携帯を取り出して確認するがメールも着信も入っていない。

「まぁ渡せなかったら僕にくれるって言ってたし、あんまり頑張らなくてもいいけどね」

 慌てふためる文次郎を眺めながら至極楽しそうに言う伊作に腹を立てつつも脳内では必死に情報を整理していた。
 今日あえて「渡すもの」といったらチョコだろう。伊作が待ち合わせしてると思っていたという事は、食満としては待ち合わせの場所を伝えてるつもりに違いない。逢って受け取らないなどあり得ない、という事は渡せない時とは文次郎が約束に気付かない時という事。最後に食満と接触したのはいつだったか…………携帯の履歴を遡ってもそれらしき内容は見つからない。元々メールより電話、電話より直に逢う方を好んでいたのでメールのやり取り自体がそう多くは無い。一番最新の履歴は……

【英和辞書忘れたから貸してくれ。次の休み時間に取りに行く】

 そっけない用件のみの文面、日付は3日前だ。確か借りに来た時も返しに来た時も普段通りで変わったところは無かった。
 …………いや、よくよく考えてみれば食満がわざわざ辞書を借りに来た事自体がおかしい。仮にどうしても必要だったとしても、大抵もっと近いクラスで済ますだろう。恋人とは言え距離のある潮江のクラスにまで借りにくるなど普段ではあり得ない。その時は久々のメールに浮かれそんな違和感には気づきもしなかったが……
 まさかと思い、英和辞書を開く。Vの索引「Valentine」の項目があるページに挟まれていたノートの切れ端には走り書きでただ一言「俺んち」とだけ。

「! わり、帰るわ」
「慌てて事故らないようにね〜」

 大慌てで鞄をひっつかみ出て行く潮江をのんびりと見送る面々。彼らの興味は疾うに潮江から今日貰ったチョコに移っている。いくつ貰っただの可愛かっただのバレンタインらしい話題に華が咲いている友人達を置いて潮江は食満の家へと走った。途中で何人かに声をかけられた筈だが止まる余裕も無く走りながらぞんざいに断ってしまった様な気がする。申し訳ないとも思うが今は食満の事で頭が一杯でそれどろではない。
 学校から食満の家まではチャリで15分。電車通学の潮江はチャリを学校において無いので走るしかない。ノンストップで走り続けて40分、柔道部で鍛えた潮江だが流石に息が荒い。だが息を整える時間すら惜しい。食満の両親は共働きだから平日のこの時間は居ない筈だと、そのままインターホンを押す。
 ぴんぽーんと電子音が響き、少しの間の後聞き慣れた声が答えた。

『おう、カギ開いてっから』

 一つだけ大きく深呼吸してからドアノブを回し中に入る。玄関に食満の姿はないが、インターホンに出たということはリビングには居るだろう。勝手知ったる食満の家を進み食満の姿を探す。
 リビングへと続くドアを開けた潮江の目に飛び込んで来たのはソファでふんぞり返っている食満の姿。

「おせーよ。部活もねぇのに何やってやがった」

 潮江を見るなり文句を付ける食満に大股で歩み寄り何も言わず抱きしめてキスをする。食満も抵抗せず潮江を受け入れ、潮江の背に手を回してきた。

「汗臭せぇ」
「がっこから走って来たんだよ。わかりにくい事しやがって」

 唇を離した後顔を顰める食満を更にきつく抱きしめる。こうして触れ合うのは去年の年末以来だ。久しぶりに感じる食満の匂いを胸一杯に吸い込む。

「お前狙いの女子も結構いたしさ、気づかないならまぁしょうが無いかなっ…」

 非常に心外な事を言う口を再び塞ぐ。直前まで気づかなかったのは自分の落ち度だが女子がどうのは全く関係の無い話だ。

「せめてもうちょっと分かりやすくしてくれ。俺がお前を最優先しないなんてありえねぇから」
「……悪かったよ。チョコやるから許せ」

 丸一ヶ月、碌に逢えずに居た上に女子を優先するかもと疑われるなど心外にも程がある。そんな憤りが通じたのか食満は素直に謝って机においてある小さな包みを目で指した。
 名残惜しく身体を離し包みに手を伸ばす。手のひらに収まる小さなそれは綺麗に包装されては居るがいかにも手作りといった風情だった。

「これ、手作りか?」
「おう。チョコなんて作ったことなかったから随分練習したんだぞ」
「ひょっとして伊作となんかやってたのは……」
「これ作ってた。女子だらけの売り場に買いに行くのはしんどくてさ」

 頭の中で全ての点が線で結ばれ不可解だった食満の態度の全てを理解した。理解したと同時に愛おしさが込み上げ再びきつくきつく抱きしめた。

「バレンタインとか別に気にしてなかったけど、お前がそこまでしてくれたのが凄く嬉しい。ありがとう」
「………………おう」

 万感の想いを込めて伝えた言葉に対する返答は素っ気ないものだったが、抱き返してくる腕の強さとか僅かに上がった気がする体温が食満の心を雄弁に伝えてくれる。

 腕の中にある幸せを噛みしめ、言葉も無くただ抱きしめあう。
 食満の親が帰ってくるまで後2時間はある。チョコを食べて食満を味わってと、バレンタインらしく充実した恋人同士の時間を過ごすつもりはあるが、もう少しだけ。
 もう少しだけこの穏やかな幸せを噛みしめていたい。

 

 窓の外から夕日が差し込む静かな室内。
 若い恋人達はゆっくりと愛を育む。


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遅刻したけどバレンタインデー! 現パロなんだからゲロ甘くあるべき。
2012.02.20

 

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