■あなたに逢えて良かった

「文次郎、これをやろう。一生感謝しろよ」

 夜間訓練から戻った文次郎を待ち構えていた仙蔵に先の言葉と共に差し出されたのは一本の真新しい筆。

「なんだぁ?」
「いいから黙って受け取っておけ」

 俺の疑問に答える気なぞ無い級友は強引に押しつけると、そのまま出て行ってしまった。早朝にも関わらずしっかりと支度していた所をみると任務か実習なのだろう。意味の分からぬ贈り物は恐ろしいが真意の確認はしばし後になりそうだ。
 大きく一つため息をつき気まぐれな男の所行を受け入れると改めて渡された筆を眺めて見る。仙蔵の物を見る目は一級だ。渡された筆も特別高価なものではないが丁寧に作り込まれたとても良いもので、おそらく使い込む程に手になじむだろう。意図はともかく委員会で酷使している筆がだいぶ痛んできていたのでこの贈り物は有り難い。
文次郎は筆を大切にしまうと支度をして今日の授業へと向かった。


「あ! いたいたもんじろー!!」
「………もそ」

 授業を終え遅い昼食をとっている所にやってきたのは小平太と長次の二人。
 軽く片手をあげて挨拶をすると二人は近づいてきて勢いよく手を差し出した。

「やる!!」
「?」

 小平太が差し出したのは手のひらに収まる程の小さな包み。四角い何かを品の良い和紙で包んである。

「……墨だ。大事な言葉を綴るとき、使うといい」

 常の通り淡々とのべる長次の言葉は簡潔に分かりやすいが、肝心な所が説明されていない。

「その…気持ちはありがたいが俺には貰う理由がない。何の理由もなく高価な物を貰うわけには……」

 困惑して丁重に断りの言葉を述べる文次郎を遮って押しつけて来たのはやはり小平太だった。

「細かいことは気にするな! 私はがさつで墨の善し悪しなぞ分からないからな、長次と一緒に選んだのだ。な、長次!」
「……裏なぞ無い、受け取れ」
「文次郎、人の好意は素直に受け取るのが礼儀だぞ!」
「…………ありがとう」

 友人二人にここまで言わせては受け取る他ない。朝の仙蔵の事もあり多少の気味の悪さは感じるがこの二人が仙蔵と共謀して謀るとも考えがたく、ただの偶然だと自分に言い聞かせて感謝の言葉と共に受け取った。
 包み紙を開けて見るとそこにあったのは見事な墨。

「これは……なるほど、会計の仕事に使うには勿体ない良い墨だな」

 普段使いの墨とはひと味違う味わいのある風情に、思わず感嘆の声が漏れる。
 そんな文次郎をにこやかに見守っていたろ組の二人組は最後に爆弾を落として去って行った。

「恋文を書くならこれくらい気を張らねばと店の主人が言っていたぞ! 存分に使ってくれ!」
「文次郎、心を表わすには道具も大事だぞ…」

 言いたいことを言って去っていった二人に声を掛ける事もできず、文次郎は固まっていた。周りからは「恋文?あの潮江先輩が?」「潮江先輩も隅に置けませんねぇ」「お相手の方どんなお人なんだろ〜」「いや……まだ一方的に想ってるだけなんじゃないですか? だから先輩方はあんな贈り物を…」「なぁ〜るほどぉ」などと声を抑えているつもりの会話もばっちり聞こえてくる。
 咳払いで噂話に花を咲かせる四年生をけん制し、なるべく冷静を装って残りのランチを平らげる。本音はすぐにでも食堂を出たかったが、おばちゃんの前でお残しはできない。
「ごちそうさまでした!」
 味も分からずランチを平らげると早足で逃げるように食堂を後にした。


「あ、文次郎いいところに。これあげるよ」

 六年長屋に逃げ帰ってきた文次郎に今度は伊作が声を掛けて来た。本日三度目となるといっそ様式美のようにも思えてくる。

「伊作、おまえもか」

 げんなりと返す文次郎に事態を悟った伊作は朗らかに笑いかける。

「みんなに先越されちゃったようだね。まぁまぁ気にしない気にしない。はい、これ」

 渡されたのは上質の紙の束。授業のプリントやトイペに使う様な物ではなくかなり上等なものだ。

「なぁ……お前ら何がしたいんだ?」

 仙蔵からの筆も、ろ組の二人からの墨も、伊作からの紙も。自分たちの懐具合だと無理ではないが決して安い物でもない。せめて理由が分かれば素直に感謝できるものの、今のこの状態は嬉しさよりも不信感の方が際立ってしまう。

「意味もなく贈り物をされても素直に喜べんぞ。何なんだいったい……」
「んー……まぁいいじゃない。それより留三郎が探してたよ。用具倉庫に籠もってるはずから行ってみなよ」

 こちらの疑問には答える気がない伊作にも、顔も見せずに自分を呼びつける留三郎にも憤りは感じるがここで伊作を問い詰めても何も得るものはないだろう。

「…………分かった。……あ〜、紙ありがとうな」

 何が何だか分らない現状への不満はあるが、この贈り物攻勢は裏のあるものではないらしい。伊作に一言礼を言うと潮江は用具倉庫へと向かった。


 用具倉庫というからてっきり後輩たちを侍らせているのかと思いきや。分厚い扉を開けて潮江が目にしたのは一心不乱に作業している留三郎の姿だけだった。
 薄暗くてよく見えないがやすりを掛けているようだ。堅い音が静かな倉庫内を満たす。留三郎がこちらに気づいた様子は無い。

「おい。人を呼びつけといて作業に夢中とはどういう了見だ」

 作業中の姿というのは文次郎が好きな留三郎の姿の上位に入る代物だが、今回はこちらに気づかない苛立ちが見ていたい気持ちを上回ったので早々に声を掛けた。
 作業を中断された留三郎だったが怒る事も無く、振り返ると穏やかな笑みを向けた。

「早かったな、文次郎」
「呼んだのは貴様だろう。…まさかお前からも贈り物があるとかいうなよ?」 
「残念、そのまさかだ」

 楽しそうに帰ってきた言葉に文次郎の顔が歪む。その顔を見てまたひとしきり笑うと留三郎はまた作業に戻ってしまった。
 作業の邪魔にならない位置にどっかりと座り込み手元を覗く。目に飛び込んできたのは荒いながらも飾りの入った小さい黒い物体。

「硯、か?」
「おう。もう少しで完成だからちょっと待っててくれ」
 筆、墨、懐紙と来て最後が硯というのは予想の範囲内ではあったがまさか手作りとは……結局、理由も未だ分からぬままだ。今度こそ受け取る前に理由を問いたださなくては。
 そう意気込む文次郎を尻目に、硯はまもなく完成した。

「……完成だ」

 ほうっと息をつき完成品を満足げに見ている。流石は用具委員長、完成した硯は素人が作ったにしては見事なものだった。 原石の味わいを生かした形に、滑らかに磨かれた陸部分。確かに見事、と感心している文次郎に生まれたての硯が差し出される。

「文次郎、ささやかだが受け取ってくれ」

 ……はにかむ留三郎というのは非常に貴重なもので。穏やかな今のこの空気を壊しかねない疑問なぞどうでも良くなってくるが、男潮江文次郎ここは鉄の意志力で初志を貫いてみせよう。

「留三郎、受け取る前に教えてくれ。この贈り物の意味はなんなんだ? 仙蔵から始まって小平太、長次、伊作にお前まで。いったい何なんだ?」
「今日ってお前の日だろ」

 最後の機会とばかりに気負って尋ねて、返ってきた答えはあまりに予想外のものだった。

「…………どういう意味だ?」
「文月の二十六で"文""じ""ろ"なんだそうだ」

 語呂合わせということか、それにしても強引過ぎはしないか。それ以前に何故そんなこじつけの様な日を根拠に贈り物なのだ。

「お前今頃の生まれだったろ? ついでに誕生日の祝いも兼ねて、な。どうせ正確な日付なんて分らんし、いっそ今日を誕生日としたっていいじゃないか」
 あっさりと言ってのける留三郎を見ているとあれこれ考えていてのが馬鹿らしくなる。
 あれこれ考えず受け入れることにした。

「発案ってお前か?」
「まぁ、俺らんときも祝って貰ったしな」
「そうか……分った、ありがたく頂こう」

 差し出されていた硯を大切に受け取ると、留三郎がほっとしたのが分った。柄にも無いことをしている自覚があったのだろうか。

「仙蔵には筆を、小平太と長次からは墨を、伊作からは紙を貰った。そしてお前からこの硯だ。……そんなに恋文が欲しかったのか?」

 発案者が留三郎で、硯を渡すと先に宣言していたのだとしたら。他の連中の贈り物にも納得だ。おそらくそこまで意識してなかっただろうがわざとそう聞いてやれば予想通りに顔を真っ赤にしている。

「な…っうぬぼれんな! 俺はただ……」

-----お前が生まれて来てくれた事への感謝を伝えたかっただけだ。
 
 自覚もなしに殺し文句を言ってのけるこの愛しい恋人に心の全てを伝えるにはどうしたらいいのだろう。今日貰った墨と紙を使い尽くす程の言葉を並べ立てたとしても伝えきれる気がしない。
 受け取った硯を大切に懐にしまってから、赤い顔でこちらをねめつけている留三郎を取り敢えず抱きしめてみた。

「ありがとう」

 ありきたりな言葉に精一杯の気持ちを込めて囁けば、留三郎もおずおずと抱き返してくれる。



 静かに過ぎる穏やかな時間。幸福とはまさに今この状態の事を言うのだろう。
 腕の中の恋人を大切に大切に抱きしめ、口づけを交わす。
 戯れの語呂合わせがもたらした幸福に感謝しながら。




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7/26を文次郎の日として祝おう!というpixivの企画に投稿させて頂いたものを加筆修正してます。
2011.08.15

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